いろはにっき2

ニンニン!

仮面ライダーウェイブ!を終えての感想

自分がpixivで書いてた小説?仮面ライダーウェイブ!が今年完結したのでそれについての感想とか思いとか考えていたこと。無編集なのでまとまってません。あとよっぱらってます。

 

 

■ウェイブ!を書くまでの流れ ニート→ファクト→フィストからの「ウェイブ!」

私は今まで何作かpixivでオリジナル仮面ライダーいわゆる、「ピクライ」小説を書いてきました。

一作目は「仮面ライダーニート」。これはニートが主人公で、インターネット(2ちゃんねる)のミームとか、有名な作品のパロディとかを元にした話を主にやってました。構成的には1話完結のエピソードが多く、ブラック企業に勤める怪人が人々を働かせるために何かしら作戦を進め、ニートである主人公の笑太がそれに対抗し、最後はなんか良いこと言ってる風に敵に説教かましてバトル、みたいなパターンが多かったです。

ニートを書き始めた当初はそんなに深く考えてなかったのもあり(最終的に大きいテーマはあったよ)、めちゃくちゃ速筆ですらすらやってました。週2で更新とかしてました。

 

そして次に書いたのが「仮面ライダーファクト」。ファクトで意識したのは分かり易さ。

これは読者にとっても読みやすく、作者にとっても書きやすいということです。たとえばメインキャラはなるべく少なくしました。主人公の鉱司と相棒のロボ助、あと子供の栄治くらい。敵側もボスである極亜博士が前線に出張ってて、幹部は各章で1人ずつ。

構造も基本は人間VSロボット、正義側VS悪側といったシンプルな対立で、スパイスとしてナンバーゼロ(その間で揺れるやつ)って感じでした。

 

ファクトの次の作品「フィスト」は色々な思想を持つ登場人物がいてそれぞれの関係性を描く、みたいなことをやりたくてやりました。対立構造も人間VS人間で、しかも簡単に正義とか悪とかに分けられるものでもない。当時ルパパトとかに憧れてたのもある。

ファクトで避けていたことを、フィストはあえて挑戦したわけです。

その結果………やっぱムズかったわ!うん。俺にそんな技量は無い!!とはいえなんだかんだ楽しかったし、挑戦した意味はありました。人生に失敗は存在しない。成功までのローラー作戦なだけである。

 

 

そんなわけでようやく本題。「ウェイブ!」はとにかく「自分の得意フィールドでやる」というのが1つありました。そして自分が得意なのは何なのか、そう考えてウェイブ!に組み込んだのが

・パロディ

・メタネタ

・寓話的教訓要素

の3つ。そう、これって「仮面ライダーニート」です。何も考えずともスラスラと1番書けていたニートの要素こそ自分の得意な分野なのではないかと考えたわけです。

トロフィーシステムとかフラグシステムとかもその一環。

トロフィーシステムはパロディ要素。パロディ元の明示がその役割の一つ。昔小学生の頃、「千葉!滋賀!佐賀!」のネタを言ってるやつらがいて、こいつらめちゃくちゃ面白いと思ってたんですけど、後からラーメンズのネタのコピーだったことを知り、少しがっかりした覚えがあります。千葉滋賀佐賀を面白いと思い、広めたのはそいつらのセンスであることは間違いないんですけど、オリジナルと思ってた自分からしたらやっぱりちょっとショック。そういうがっかりさせるようなことが無いように、🏆はこれは元ネタありますよという供述なのです。その上で引用の仕方とかを面白いと思ってもらえればよい。

フラグシステムはメタネタの要素。たまたまウェイブの変身アイテムが旗だったのもあり、これはフラグ=いわゆる死亡フラグとかに繋げられるなとなって、システムとして組み込んだのです。SNSの発達で、色んなアニメ漫画作品の考察とか、これは伏線だとかが共有されるようになったわけだすが、二次創作に関してはそんなことは無い。周りは誰も読んでない。自分しか読んでない。共有などされない。だからせっかく仕込んだ伏線が気付かれなかったら悲しいじやん。勿体ないじゃん。だからあえて自分から言うことにした。ここ伏線ですよ!覚えておいてね!!アピール。

寓話的教訓要素はいわゆる説教パターン。思えば子どもの頃絵本をよく読み聞かせてもらっていて、自作の絵本をチラシの裏に描いたりもしてたんで、その感じが染みついてんだろなあと勝手に思ってます。

 

 

■やれること全部やる

ウェイブ!で意識したのが「とにかくやれることは全部やる」「思いついたら実行」ということ。

それまで何作かピクライを書いてきましたが、自分の作品が1番面白いと思っていました(それは今もだが※)。だが!評価され足りない!いいねしていただいたりコメントもらったりしてたのは非常にありがたいし励みになっていました。でもまだまだ足りねえぞおい!

※とかいいつつ色々他者様の作品を読んでみると分かる、全部面白い!そりゃ埋もれるわ。全部面白いんだもん。

 

ということで承認欲求を満たすためにあらゆる手段を取るぞ!と意気込んだのがウェイブ!です。これがダメだったらもう引退くらいの背水の陣を敷いてました。

ということでまず、Twitterでクソコラ画像をたくさん作りました。努力の方向性合ってる?

でも当時足りないと思っていたのは知名度。とにかくなんか変なことやってるやつがいるぞと、存在のアピールのためにやってました。いや、本当はスマホで軽く画像編集できるようになって楽しかっただけかも。

あとはキャラメーカーでキャラのビジュアルを作ったりとか、名前入れてなんとか診断みたいなしょうもないやつをやったり、無闇にそれやったせいでアカウント乗っ取られたり。

 

 

■中身の話をしろ

ここまでは作品の外部の話だったけども、作品の中身自体もそういう「やりたいことをやる!」という内容でした。

どんなことやったか思い出してみると

・AIのべりすとに書かせてみる

・絵文字を使いまくる

・AIイラスト使用

・パズルや迷路などの仕掛け

・ゲームを作っちゃう

・韻を踏んだり言葉遊びをしまくる

 

などなど他にも色々やりました。

元々小説を上手く書きたい、というわけではなく、自分が考えた仮面ライダーを形にしたいというのが元なので、そこに拘りは無かったです。多分絵が上手かったら漫画を描いてたろうし、技術があればフィギュアとか、実写で映像を撮ったりしてたでしょう。でも僕は何の能力もないので、ギリギリできたのが文章を書くという手法だっただけ。

 

私が仮面ライダーシリーズが好きな理由は「既成概念を破壊する」という所。積み上げたものぶっ壊して。てやつ。それまでの歴史で形づくられてきた「仮面ライダーとは」みたいな概念を、自らの手でぶち壊し、新しい仮面ライダー像を作り上げていくその姿勢に惚れているのです。ライダー同士でバトルロイヤルしたり、電車に乗ってみたり、宇宙行ったり。

だが、二次創作でそれは許されない。東映仮面ライダーが好き放題できるのはどれだけめちゃくちゃやっても公式で「仮面ライダー」と名乗れるから。二次創作でそれをやると「仮面ライダーじゃない」「オリジナルでやれ」と言われるわけです。

そこで、私は「ピクライ小説」の「小説」の部分の型を破ることで、擬似的に「仮面ライダー」シリーズの作風をリスペクトしたのです。(これはさすがに後付けですが、平成ライダーのせいでそういう型破りを称賛するような思想になってしまっている自覚はある)

 

 

■テーマの話「世界平和」

あとウェイブ!が良かったのは自分の伝えたいテーマ、メッセージを存分に乗せられたところです。作者の思想が透けて見えるのは嫌だとかいうやついるけど、思想なき創作などただの空っぽ、魂のない屍である。

特に伝えたかったのは「世界平和」。私は仮面ライダーウェイブ!を通して世界を救いたいと思っています。わりと本気で。こんな何者でも無い自分が世界を救うことなど不可能ですが、たとえばこの拾い世界の誰か名も無き一人の人間がこの作品をたまたま読んで、そいつの心に何かしらを残し、将来世界を動かすようなことをやってくれたのなら、それは間接的に世界を救うことになるんじゃないかとそうかんがえています。

ウェイブの作中でも少しあったけども、「公式が二次創作を越えらない」なんてことはなくて、そりゃ世間的には公式を越える人気とか知名度なんて無理だし当たり前なんだけども、世界中のたった一人でも、ある日のある人にとって、この作品が大小問わず人生の選択のきっかけになったり、新しい考え方を得たり、救いになるようなそういうことがありさえすれば、その瞬間その人にとってこの作品は公式を越えられるのだ。二次創作だろうがなんだろうが、そのくらいの気概で創作しろやと思うわけです。いやいや公式様には敵いませんわみたいな姿勢でやってんじゃねえよ。大して美味しくないですが中華の本場には敵いませんわみたいなスタンスのラーメン屋のラーメンを誰が食いたいんだ。コーシキを超えてやるぜ、俺が世界を変えてやるぜ、お前の人生めちゃくちゃにしてやるぜという気概を持って私はこのラーメンをお出ししてます。

あともういっこ。住んでた地域的に毎年夏休みの登校日に戦争体験の話を聞いてたんですよ。そんで小学生当時はそれが当たり前だとおもってたんだけども、考えてみれば、辺り一面死屍累々地獄のような光景で助けを求める人間のようなものがうろうろしてる。周りの大切な人も全員死んで、そんな状況トラウマにも程がある。そんな今すぐにでも忘れたいような閉じ込めておきたいような何十年も前のおぞましい記憶を何故あの人たちはわざわざ子供たちの前でかたっていたんだ。なんでそんなことするんだ。語ったところで目の前の子供たちが喜ぶ訳でもない。むしろ悲しい顔をするわけです。なぜそれでも伝え続けていたのか。

これ以上そんな悲劇を繰り返さないためなんですよ。自分がいなくなった後の世界のために死ぬほど辛い経験をすべて毎年わざわざ呼び起こして語ってたんですよ。どういう覚悟なんだろう。それを受け取った自分たちはそれを後世にそのメッセージを語り継ぐ義務がある。自分は戦争を実際に経験した訳じゃないけれども、彼らの経験を直接聞くことができた世代としてその意志を思いを決して途絶えさせてはいけないという使命感みたいなのを感じるわけです。だからどうしても世界平和というメッセージを何かしらの形で伝えたかった。ウェイブ!は所詮フィクションですけれども、少しでもその一端を担えればよいなと思っています。これに関しては先の作品なりなんなりでも続けていきたいです。